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前田 効多郎

社会福祉法人檸檬会 理事長前田 効多郎Maeda Kotaro

1971年生まれ。和歌山県出身。
高校を卒業後、米国に留学。各国放浪を経て1996年に帰国し起業。
2003年から保育事業を開始、2007年に社会福祉法人檸檬会を設立。

はじめに、前田理事長ご自身について、生い立ちからお聞かせいただけますか。

僕は昭和46(1971)年生まれで、今年46歳になります。檸檬会の法人本部は和歌山県紀の川市にありますが、そのすぐ近くの和歌山市で生まれました。小学生の頃は平凡な子供だったのですが、13歳の時、1985年に日航ジャンボ機の墜落事故があって、その時にジャンボ機に乗っていた親戚6人が亡くなってしまいました。家は僕の祖父が始めた小さな会社で、亡くなった叔父や叔母も経営に携わっていて、当時僕は中学校1年でわからないことも多かったのですが、父親も含めてかなり混乱していたという記憶がはっきり残っています。叔母は生前、今の本園がある紀の川市に保育園を誘致したいという構想をもち、それを受けて祖父が紀の川市に福祉施設を考えていたという話を後から聞きました。

高校3年、18歳で大学受験を控えていた時、ちょうどその頃は受験戦争といわれるほど競争が激しくて、僕はあまり勉強が好きではなかったので、直前になってから勉強しても大した学校には行けないと思い、卒業後逃げるようにしてアメリカに渡りました。親には心配をかけましたが、意外にアメリカの水が自分に合っていました。いろいろな国の人たちと交わることによって、人にはいろいろな考えがあるんだなというのがよく分かり、また自分の国を俯瞰してみることもできるようになって、アメリカに留学してよかったと思っています。

20歳の頃、ベルリンの壁が崩壊するのを見ていて、一度、東ヨーロッパを見てみたいと思い、一人で3カ月ぐらいバックパッカーとして放浪していました。そのなかで一番印象に残っているのが、ルーマニアにいた時の事です。ルーマニアは元々、共産主義体制の時にチャウシェスク大統領が産めよ増やせよという政策をとっていたのですが、体制崩壊と同時に家で子どもを育てられなくなって、捨てられたストリートチルドレンがものすごく増えたんですね。
僕はそんなことを知らずにいて、首都ブカレストの駅に着いたら、子どもたちがワアーっと群がってきて、鞄の中に手を入れて、物をたかるような感じですごい光景でした。その時、直前にお金を盗まれていて、お金も何も持っていなかったので子どもたちもすぐに諦めて離れていったけれど、その中の一人に、ちょっと一緒に遊ぼうみたいな感じで誘われて、その子が住んでいるところに連れていってもらったんですね。でも、そこはマンホールの下。そういう社会を見て、国がきちんと子どもを守る社会保障制度って大事だなと思いました。

帰国してすぐに起業して、その経験が保育事業を立ち上げるきっかけになったのですか?

はい。その後1年間ぐらいフリーターをしていて、ずっと次は何をしようか考えていました。その頃はちょうど介護保険制度が始まることになり、社会福祉が新しい仕組みに変わっていくと思いまして、僕も介護保険事業をやってみようということで2000年に和歌山に帰り、訪問介護の仕事を始めました。ホームヘルパーの資格を取り、パソコン1台買って自分の実家の部屋で起業して、その後、仕事は順調に発展していきました。
ただ、その中で問題になってきたのが働く人のことです。僕らとしては特に30代、40代の女性にたくさん働いてほしいけれども、30代、40代の女性は小さい子どもがいるので働けない、女性にとってもたくさん働きたいけれども働けない。それを解決するために、社内にれもんケアという託児所を作ったのが保育事業の始まりです。保育士さん1人と子ども1人からスタートしました。

保育事業はその後どのように展開されたのですか?

今は企業内保育施設や企業主導型保育などいろいろな制度があって、国が子育ての環境に対して補助する仕組みがあると思いますが、当時は全くなかったんですね。社内で託児所をつくるということは全部会社の持ち出しになるわけで、年間でかなりの金額になってくる。持続していくためには事業化させる必要があると思い、民間保育園を作りました。社会福祉法人ではなくて株式会社として整備したのが最初ですね。自己資金で小さな建物を建てて、定員45名で認可を頂いたのが平成15年ごろ、その後、19年に社会福祉法人化し、名前も檸檬会に改めました。

起業をする場合、経営の面で商業的なビジネスを目的として利益を上げることを目的とする場合が大半ですが、一方で最近では、社会の様々な問題点に向き合い、社会を変える力となるために起業するNPOやNGOなどの法人も現れています。檸檬会さんの活動も社会を変えるかっかけになっていくのではないかと思いますが、ご自身でそのような自覚をお持ちなのでしょうか。

最初に起業したプレッツェルも含めて、いろいろな事業をしてきましたが、社会的なニーズがあるのに足りていないことを察知して、足りないものを埋めていきたいという思いはありました。その一つが保育事業になると思います。
僕は個人的に、日本の将来について心配しているんですよ。『日本』というカテゴリーで凝り固まっていて、『自分が活躍する場は世界だ』と考えられるような人が出てこないと、このままでは日本はダメになってしまうという思いがあって、僕ができることは幼児教育の面かなと。幼児教育によって様々な今の社会の、問題を解決できることもある、そう思ってきました。

檸檬会さんでは、多様な職歴を経た、保育に専門的に関わってこなかった方を保育園経営に迎えていますが、その狙いについてお聞かせ下さい。

社会に影響を与えたり変えたりしようとする時、ある程度の組織としての能力と、一定の規模が必要です。保育の視点はもちろん大事ですが、保育以外の視点をきちっと組織の中に入れていくことによって、影響力や組織力や規模を実現できると思っています。

教育や保育の世界は、ものごとを教育的視点でとらえて、あまり経営的視点からは考えない文化が根づいていて、どちらかというと「こうあるべき論」から考えがちですが、理事長がご覧になって、何かお感じになることはありますか。

今の保育業界に対して風を起そうとか反論しようという意味ではないのですが、理想があって、その理想に到達するためには、組織の基盤や資金的なことなどいろいろな条件はやはり必要になってくると思うんです。例えば10周年記念のシンポジウムを開こうと思っても、一つの園だけではできないことですよね。この保育業界では、人材育成というのはとても大きな課題でもあり使命でもあって、お金がないから人材育成をしませんなんてことは言えませんよね。でも、人材育成に投資をするということ、つまりある程度のお金をかけるとやはり効果は上がるわけで、組織力というのはチカラになると思うんです。理想があって、組織としての力もある、その二つが揃っているのが大事で、きちっとした結果をだすことが僕の大きな仕事でもあると思っています。

理事長が理想と考えている保育の形についてお聞かせください。

僕は親から『自分の思いをきちんともって自分で考えて行動して、その結果に責任をもちなさい』と教えられて育ってきました。保育に関しても、子どもたちが自分で考えることができる環境をきちっと作ることが大切で、その環境づくりをするのが檸檬会の仕事であり、保育者の仕事であると思っています。

その理想のモデルはありますか?

近いなと思っているのはイタリアのレッジョ・エミリアの幼児教育における世界観です。そのまま檸檬会の保育につながるわけではないけれども、子どもが主体的に生きるということや、子どもを一人の市民としてみるというレッジョ・エミリアの考え方はすごく参考になると思います。

最後に、今後の檸檬会の方向性についてお考えになっていることをお気かせ下さい。

僕らは規模の拡大を追い求めるというよりも、自分たちの理想に近づけるにはどうしたらいいかというところで組織をあげて取り組んでいます。その一つの方向性として構想しているのが、『レイモンド・ビレッジ』です。
現在準備しているのは、本部のある和歌山県紀の川市です。そこで子どもたちの保育の理想が完結できるように、どうすればいい保育ができるのか研究ができる施設と、もう一つ、こども園だけではなくて、その先に続く学童保育、将来的には小学校も視野にいれるかもしれません。また、障害者の子どもたちも一緒になって生活できるような、保育に携わる人間や子どもだけではなくて、周りの町の人も一緒になって子どもを育てるような環境を『レイモンド・ビレッジ』として育てたいと思っています。
もう一つ、今まで世界各国を回って様々な幼児教育の環境を見てきましたが、日本では欧米にも劣らないような質の高い幼児教育、保育を行っていると思います。檸檬会の今の保育の質を『レイモンド・ビレッジ』として表しながら、世界中、特に東南アジアに広めていけたらと思います。例えば、東南アジアの人が日本に来て保育の資格を取り、日本の保育施設や幼稚園で働いて、日本の教育を身につけ、その人たちが自分の国に帰って、幼稚園や幼児教育の施設を作っていく。様々にクリアしていかなければならない条件もありますが、ぜひそのような流れをつくりたいですね。

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